男手1人で育ててくれた父が亡くなった

1: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:05:32.18 ID:jpNoSyW20
自分語りだがよかったら聴いて欲しい

引用元: 男手1人で育ててくれた父が亡くなった

2: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:06:26.86 ID:jmk0xaL00
聞く

4: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:10:05.32 ID:jpNoSyW20
>>2
ありがとう。

父が実は昨日亡くなった。
朝起きて、父の部屋に行ったらもう冷たくなっていた。

3: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:07:40.08 ID:jpNoSyW20
携帯だから遅いかもだけどすまん

私23
姉25

私が幼稚園の年少の頃に父は母と離婚した。
離婚の原因は母が育児ノイローゼと、精神的な病気。

5: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:12:47.08 ID:njv84FVW0
父が母と離婚してからはシングルファザーで娘2人を育ててくれた。

仕事も朝早く、夜も遅くなる事が多かった。
でも仕事から帰ってきて毎日暖かいごはんを作ってくれた。

休みも日曜日だけなのに、いつも色んな所へ私達を遊びに連れてってくれた。
たぶん、母親がいないから寂しい思いをさせないようにしてくれてたんだと思う。

6: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:14:15.76 ID:khV4f00O0
聞こう
いっぱい吐き出せばいいさ

11: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:21:16.25 ID:n6msDMRc0
>>6
ありがとう。
まだ、整理できてなく泣きながらになりそうなので文章おかしかったらごめん。

私は小さい頃毎週日曜日が楽しみだった。
ちなみに母と一緒に遊んだ記憶とかは全くない。
断片的な事だけなんとなく覚えるくらい。
いつの間にか母がいなくなってた感じ。

毎週日曜日は、少し遠いアスレチックがたくさんある様な大きい公園に行ったり
航空博物館に行ったり
冬はスケートに連れてってくれたりした。
スケートに連れてってもらって寒いのが苦手な父が、早く帰りたそうにしてたと今では思う。

スケートで散々遊んで冷えて疲れた体であったかいラーメンがものすごく美味しかったのを覚えている。

7: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:16:29.36 ID:/ZTg67x90
まだ家にいるんだろ?
とーちゃんについててやれよ

9: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:17:57.41 ID:fjH15jtE0
通夜とかお葬式の準備で忙しくないかい?
無理せずともいいよ

10: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:20:37.67 ID:ABIZnTbs0
まぎらわすためなんだろーね。
ゆっくり気持ちを整理してけばいいさ。

12: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:23:34.84 ID:zwj0prg9P
よんでる(つд;*)

13: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:24:10.74 ID:sS3A3W/H0
ごめん少し語弊がある。
幼稚園~小3までおばあちゃんが家に住んでくれていた。

通夜などはやらず、簡単な式だけなので
後は区役所行ったりの処理だけなので夜はする事が意外となく辛くなるんだ

15: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:26:32.26 ID:khV4f00O0
>>13
うんうん
思い出をゆっくり思い出すのもお父さんも嬉しいだろうね
ゆっくり聞かせてね

14: 忍法帖【Lv=10,xxxPT】(1+0:8) 2013/11/26(火) 21:25:49.87 ID:rmE8L7v/0
俺も父ちゃんの背中におんぶされて
チャリで保育園に送ってもらったの思い出した(´;ω;`)

16: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:28:29.99 ID:cAfGHRGf0
あと、日曜日はどこかに出かけなくても一緒にスーパー行って買い物するのも好きだった。

日曜日の朝は、アジの干物(たまに鯖とかに変わる)と、お味噌汁、ネギ入りの卵焼き、じゃこと大根おろし等
といった和食でみんなで朝食だけでご飯3号を平らげてしまっていた。

なので、私は今でも大食いです。

17: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:35:50.98 ID:7FkxdBzM0
で、先にも言ったけどおばあちゃんが小3までお母さん代わりをしてくれていたんだ。
そのおかげで、超おばあちゃんっ子になった私。

覚えていなんだけど、5さいとかかな?
母と久々に会ったんだが、私は全く母と喋らずに
ずっとおばあちゃんにくっついていた。

母は精神的な病気もあり、これが結構応えたらしく、
姉と母2人でジュースか何かを買いに行って
「ここで待ってて」と言ってお母さんはもう帰って来なかったらしい。

本当はここで母の状態がよかったらまた一緒に暮らしていたのかもしれない。

19: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:42:02.84 ID:s3DQpRQg0
読んでくれてるレス嬉しくて画面が見えない

続き
おばあちゃんが年齢的なものもあり、帰ることになった。
おばあちゃんの家は遠く、気軽にこれる距離ではないので
家族3人で暮らしすようになった。

この頃から少し父がイライラしてたのを覚えている。
当たり前だと思う。
仕事から帰って来たら部屋を散らかしてる私達。
さらにそこから食事の用意や家事。

楽しかった日曜日も、怒られるのが怖かった。

18: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:41:19.77 ID:/ZTg67x90
ID変わりすぎ
コテつけて

20: 1 ◆N9cmoe2A0A 2013/11/26(火) 21:47:35.03 ID:s3DQpRQg0
すまん
コテこれでおk?

怒られるのが怖くて日曜日の父がいる日や
機嫌が悪い時は家が灰色に感じた。
父がヘビースモーカーだったのでたぶん煙の匂いもあったと思う。

22: 忍法帖【Lv=35,xxxPT】(1+0:8) 2013/11/26(火) 21:52:57.93 ID:X4brBXwS0
>>20
27年前に亡くなった父を思い出した

俺と弟を一人で育てた母はよく頑張ってる

後悔しないようにするよ

24: 1 ◆N9cmoe2A0A 2013/11/26(火) 21:59:41.69 ID:NYfUy3J/0
>>22
親孝行いっぱいしてあげてね

中学生になって思春期に突入。
生理が来ても恥ずかしくて父には言えなかった。
姉もいたので知識はあるので、自分のお小遣いで生理用品とかを買ってた。

中2になると、姉は高校になり私が家を一番遅くに出て早く帰ってくるようになった。
これをいいことに、遅刻、無断欠席ばっかりだった。
髪を染めたり、ピアスを開けたりと優等生ではないような子でした。

でも、父は私がやりたいことはさせてくれた。
お前が選んだんだから文句は言わない。
ただ、人に迷惑をかけるな、
よくそう言われた。

23: 1 ◆N9cmoe2A0A 2013/11/26(火) 21:53:25.64 ID:2BSs7doG0
少しずつ3人での家庭も慣れてきた。

めんどくさくて、食器洗ってなくて怒られたりもしたけど
日曜日に3人で遊びに行ったり、夜ごはんを餃子とかコロッケとか時間がかかるものを
みんなで一緒に作ったりした。

父も料理のレパートリーを増やしてくれて
失敗もあったりしたけど、すごく美味しかった。
今でも父の料理は世界一だと思う。

25: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 21:59:58.93 ID:uEpM5hgn0
読んでる

27: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 22:05:19.41 ID:/ZTg67x90
手間のかかる食事を作ってくれていいお父さんだね

28: 1 ◆N9cmoe2A0A 2013/11/26(火) 22:06:16.44 ID:LhJL4aIj0
そして中学生、さすが厨二病。

当時は友人関係やら色々あって
なんとなく、死にたいと思っていた。
父のこともあまり好きでなかった。
些細な事で喧嘩をして1年以上も口を訊かずに
接触を完全に避けていた。

万引きで補導されたり、遅刻して学校行ってる時に運悪く警察に見つかって
一緒に世間話しながら学校行ったりした。
家にもあまり帰らなかったと思う。
友人の家やら、何やら出歩いてた。
知らない男の人と遊んだりもした。

29: 名も無き被検体774号+ 2013/11/26(火) 22:12:23.06 ID:vEeG5lX60
涙が出てきた

31: 1 ◆N9cmoe2A0A 2013/11/26(火) 22:14:55.55 ID:ITRUXFQ80
中3の高校受験も勝手に一人で決めてしまった。
ただ、裕福ではなかったので漠然と高校行って
卒業したら働こうと思って商業高校を選んだ。
私の頭の問題もあり行ける高校は限られていた。

そんなこんなで中3は受験勉強…とはいわず
相変わらず遊んでいた。
とあるジャンルのバンドにもはまり、友人とライブに行ったりイベントにも行ったりしてた。

ちなみに、私の本当の意味での初恋はこの頃だと思う。
父とも仲が悪く、家に居づらかった。
その時出会った人からかけられた言葉がその時の私の支えだった。

33: 1 ◆N9cmoe2A0A 2013/11/26(火) 22:21:25.87 ID:NmqkazuN0
レスありがとう。
一人ひとり返せず申し訳ないです。

受験勉強は全然していなかったけれど
バカ高なので余裕でした。

そしてある日曜日。
この日は私の行く高校の入学説明会だった。
父に呼ばれて、ビクビクしながら父の部屋に行った。
でも、父は怒らずに色々と話しをしてくれた。
父と母の離婚のこと、今まで思ってた事。

私は泣いて、ただ話しを聴いていた。

たぶん父の考えとかをちゃんと聞いたのはこの時が初めてだったと思う。

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